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公家がつくったまち”土佐の小京都”をロイロイ(幡多地域の方言でぶらぶら)しましょう!
ガイド団体名:四万十市観光ガイドLOILOIしまんと
shimanto chity
四万十市
受付情報
団体名 | 四万十市観光ガイドLOILOIしまんと |
住所 | 〒787-0014 高知県四万十市駅前町8-3 |
連絡先 | TEL:0880-35-4171 FAX:0880-34-1144 メール:info@shimanto-kankou.com |
予約 | 前日17時までに要予約 |
料金 | 1人あたり¥1,500(90分コースの場合) |
受け入れ数 | 1人から |
アクセス | 土佐くろしお鉄道「中村駅」から車で5分程度の地点を、集合場所とさせていただきます |
モデルコース
小京都まち歩きコース
所要時間:約90分
「小京都」とは、古い街並みや景観が京都に似ていることから名付けられた、街の愛称のことです。四万十市も昔から「土佐の小京都」と呼ばれてきました。起源は室町時代。応仁の乱の戦火を避けるため、関白一條教房公はここ中村(現・四万十市)に中村御所を構えました(現在の一條神社)。都を懐かしんだ一條公は、京都を模した碁盤の目状の街づくりをしました。昭和21年の南海大地震で昔ながらの街並みはほとんど残されていませんが、現在でも碁盤の目の街並みや鴨川や東山など京都に見立てた地名やゆかりの神社などもあちこちに残っていますし、「大文字の送り火」や土佐一條公家行列「藤祭り」、「一條大祭」などの京文化の名残りもあります。
スタート地点:一條神社
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一條神社市街地の中央の盛り上がった小森山にある。この丘にはもともと愛宕神社があったが、一條教房が中村下向のとき他へ移し、ここに御所を構えた。天正年間に一條氏は中村を追われたが、慶長12年(1607)、遺臣により一條氏数代の霊をまつる祠が建てられた。
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幸徳秋水の墓現四万十市中村の酒造業豪商の家に生まれる。名は伝次郎。地元中村の儒学者、木戸明の遊焉塾に学び神童といわれた。明治36年日露間の国交が緊迫する中で平民社を創設し、平民新聞を発刊して帝国主義を批判、反戦を訴えた。秋水の主著『社会主義神髄』は有名。明治43年大逆事件の冤罪をこうむり逮捕され、翌年1月24日に41歳で刑死。
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一條房基の供養塔祖父、父が相次いで亡くなり、20歳で跡を継ぐ。妻は九州の大友宗麟の妹を迎え、この縁で大友氏を応援し伊予に攻め入り戦国大名化したが、28歳で自害してしまう。
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一條教房の墓土佐の祖を築く。才人一條兼良の長男。応仁の乱を機に一條家の荘園である幡多荘に下向。荘園の建て直しを進めつつ、中村が対明貿易の中継地として栄える基礎を築く。
徒歩10分
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